1973年の延世大学語学堂修了証書

1973年の延世大学語学堂修了証書

父が、その昔、ソウルで韓国語を学んだときの修了証書です。

1969_1



当時のクラスメイトは、西洋の国から来た宣教師さんたちばかりだったそうです。


父は20年近く韓国で仕事をしていました。

わたしが生まれたときも、父はすでに韓国に引越した後。でも、そのときが初めてではなくて、もっと前があったようなので、ちょっと話を聞いてみました。

学生時代、朝鮮語を専攻していた父。きっかけは、高校生のときに教科書で見た世宗(セジョン)大王の訓民正音に興味を持ったことだそうです。

初めての韓国は、1969年。
神戸から船に乗って釜山に渡り、船で知り合った人の家に泊めてもらったとか。釜山から、慶州、大邱、ソウルと巡ったそうですが、写真は船の中の一枚しかありません。

その後、日本に戻った父は、企業に就職し再びソウルへ。語学堂に通い、仕事もして、一度は日本に帰国。

その次は、結婚して、家族も連れて、また再びソウルへ。こうして、わたしのソウル暮らしも始まりました。

韓国語は、父が、今のわたしよりもずっと若かったころに興味を持った言語。
それがきっかけで、わたしと韓国の縁も始まったのだと思うと不思議です。

日本に帰国して長い月日が経った今でも、父は韓国の新聞に日々目を通しています。韓国のこと、韓国語のことを、よくわかっている人だと思います。


新村の延世大学に向かう道

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延世大学の正門

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  1. 2015/04/08(水) 17:05:31|
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ソウル日本人学校時代の韓国語の実力

古いアルバムのあいだから、ソウル日本人学校の中学に通っていたときの家庭科の調理実習のレシピが出てきました。

なつかしい友だちの字で「낙지 볶음/タコ炒め」の作り方が書いてあるのですが、よく見ると料理名が「낙지 복음」になっている。でも当時の自分を思い返すと、「복음」と「볶음」の違いなんて考えたこともなかったと思います。そんなことは子どもにとってはどうでもいいことだった。たぶん。



材料の「고추장」と「고춧가루」が韓国語で書いてあるのをみると、みんなこのくらいのハングルは読めたのかな。

でも材料の最後のところには

※낙지は 魚屋さんに行って この韓国語で書いてある「낙지」を 店の人に見せるとくれる(と思う・・・)

と書いてあって、ちょっと笑えました。

これを書いた友だちは、幼少時代を日本で過ごした日韓バイリンガルの韓国人なのですが、日本語を書くときも韓国語のように「띄어쓰기(単語と単語の間にスペースを入れる)」をするのがくせでした。


韓国語の実力はさっぱりだったけれど、「言葉が通じない」ことにはすっかり慣れきっていて、「身振り手振りでなんとかなる」という度胸みたいなものだけは持っていた子ども時代だったのでした。

それにしても서울も書けていないとは…




  1. 2015/01/12(月) 12:05:11|
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プールサイドでラーメン

ソウルに住んでいた小学校時代の話です。

夏になると、よく隣のマンション(マンションというより、低層の団地のようなところ)の敷地内にある小さなプールに泳ぎに行っていました。韓国語では「풀장」(プール場)といいます。

日本のプールと同じように、そのプールでも、水からあがって休まなくてはいけない休憩時間がありました。

でも、おとなしく休むわけではなく、みんな一斉に売店でカップラーメンを買って、お湯を入れて、プールサイドでラーメンを食べるのです。水着に水泳帽という格好のまま、プールサイドの地べたに座って。



売店にあったのは、この「ユッケジャンラーメン」一種類だけでした。

友だちと半ぶんこしてラーメンを食べ、休憩時間が終わるとまたプールに入ります。子どもにとっては、このラーメンがプールに行く目的の半分を占めているというほど、楽しみなものでした。「プールサイドでカップラーメンを食べる」ということへの違和感が、よけいに楽しい気持ちにさせていたのだと思います。

日本から転校生が来たときなどは、「こっちではプールでラーメンが食べられるのよ」と自慢したいような気持ちで、一緒にプールに行っていました。小さな自慢・・・。

このラーメンは今でもそれなりに人気のある商品で、最近は日本でもときどき目にします。

休憩時間にラーメンを食べていたのは、あのプールだけだったのか、それとも一般的だったのか、それは今になってはわかりませんが、なんとも懐かしい思い出です。

ちなみに、このマンションは老朽化して跡形もなく取り壊され、今では立派な高層マンションになりました。

  1. 2013/12/12(木) 10:47:42|
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ローラーブレードでテコンドーに通った日本人の子どもたち

昨日、ソウルに住んでいたときの友人に会いました。
ソウルでの思い出話に花が咲いて、みんなで大笑い。

とくに懐かしかったのが、テコンドーに通ったときの話です。

小学校高学年のころ、ローラーブレード(インラインスケートというのでしょうか?ローラーが一列についたローラースケートのようなもの)が流行った時期がありました。

わたしたちも、ローラーブレードが欲しいと大騒ぎして、東大門運動場まで買いに行きました。

ローラーブレードに熱中していたわたしたちは、どこに行くときもローラーブレードをはいて行きたくて、ついには毎日のテコンドーにもローラーブレードで通うようになりました。テコンドーの道着を着て、足下はローラーブレードといういでたち・・・。

韓国では、子どもがテコンドーの道着を着たまま遊んでいるのはそんなに珍しいことではなかったのですが、ローラーブレードはさすがにミスマッチだったと思います。

そうして、毎日はりきってテコンドーの道場に向かうのですが、当時(今も?)わたしたちの住んでいた町の歩道は、ブロックががたがたで、ローラーブレードががたがたがたがたつっかかって、スムーズには進まないのです。

友人も、「脳みそが揺れる感じだったね」と振り返っていました。

がたがた道を越えて、やっと道場のある建物にたどりつくと、今度は4階までの階段を、手すりにしがみつきながら恐る恐るのぼっていきます。

4階にたどりつくころには、すっかり遅刻していて、恐い顔をして待ちかまえている先生(師範?)に「ローラーブレードで来るな!!!」と叱られたものでした。

テコンドーの道場では、何か悪さをしては叱られてばかりいて、韓国の子どもたちにも、「懲りないやつらだなぁ・・・」という目で見られていた気がします。しょっちゅう怒鳴られていましたが、言葉がわからないのをいいことに半分は聞き流していて、のびのび楽しく過ごしていました。

大学生になってソウルに遊びに行ったとき、そのテコンドー道場を訪ねたことがあります。少し年をとった先生(師範)は、わたしを見て、笑顔で「なおき!」と抱擁してくれました。「なおこなんですけど・・・」と思いながらも、自分を覚えてくれていたことがとても嬉しかったのを覚えています。

テコンドーといえば、友だちが通っていた別の道場では、先生(師範)が「日本人の子どもたちもいるから、韓国の国旗だけじゃなくて、日本の国旗も飾ろう」と言って、太極旗の横に日の丸を貼ってくれていました。その道場にも去年遊びに行ったのですが、「今はアメリカ人の子どももいるから」ということで、国旗が三つになっていました。

  1. 2013/11/26(火) 11:13:53|
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H.O.Tを一所懸命覚えた中学時代

中学生くらいのとき、韓国では「H.O.T」というアイドルグループが爆発的な人気を集めていました。いたるところでH.O.Tの曲が流れていて、H.O.Tのファッションを真似した若者たちが街にあふれていました。とにかく大変な人気だったのです。

その波は日本人学校に通っていたわたしたちのところにも。

韓国語が下手すぎて、歌詞の意味がよくわからなかったのですが、CDを聞いて、なんとか覚えて、よく歌っていました。

とくに一生懸命覚えたのが、この「CANDY」という歌。



「タンジノㇽサランへクロッケマレッチ~♪」というサビのうち、単語として聞き取れていたのは「サランへ」と「ジュンビ」と「ヤクソク」だけ!あとはカタカナの羅列に聞こえていたのですが、それでも流行についていこうとした中学生のファイト・・・。思い出すと笑ってしまいます。


今になって確認してみると、韓国語の歌詞はこうでした。

단지 널 사랑해 이렇게 말했지

이제껏 준비했던 많은 말을 뒤로한 채

언제나 니 옆에 있을께

이렇게 약속을 하겠어 저하늘을 바라다보며 


今ではすっかり懐メロになってしまいましたが、忘れられない思い出の一曲です。

  1. 2013/11/22(金) 17:22:30|
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그리운 한강(漢江)

서울의 중심부를 흐르는 한강
ソウルの中心部を流れるハンガン(漢江)

사진

어릴 때 한강 바로 옆에 있는 집에 12년동안 살았어요. 물도 깨끗하지 않고 손대기가 무서울 정도였지만 그래도 친근감이 들어서 한강이 보이는 풍경이 무척 좋았어요. 학교 다닐 때도 주말에 어디 놀러갈 때도 맨날 한강을 가까이에서 보고 느끼면서 자랐기 때문에 지금도 가끔 그 풍경이 그리울 때가 있어요.

추억이 담긴 그리운 한강... 다음에 서울에 갈때도 꼭 다시 가고싶어요.

  1. 2013/10/09(水) 00:46:35|
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추석(秋夕)の思い出

明日から韓国は추석のお休みなんですね。

韓国に住んでいたとき、추석(秋夕)になると추석 선물(秋夕の贈り物)が届くので、子供心にうきうきしたのを覚えています。

梨、カルビのセット、たこ、あわび、干物など、いろいろな物をいただきましたが、どれも迫力のある大きな箱でどーんと届くので、家族でわっと盛り上がっていました。

そのときの印象で、「韓国の贈り物はどーんと豪快」というイメージを持っています。


秋といえば、ソウル日本人学校では秋に運動会があったのですが、運動会の歌の歌詞が

秋の匂いソウルに満ちて ナムサンの松、ハンガンの水~♪ 

というソウルの地名が入ったものでした。(日本人学校なので校歌などは日本語)

運動会では、日本国旗と韓国国旗のふたつの国旗をあげて、韓国の伝統舞踊を踊ったりしていました。
懐かしい秋の思い出です。

  1. 2013/09/17(火) 21:19:07|
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