根津美術館 「高麗仏画-香りたつ装飾美-」

今日は朴槿恵大統領の罷免が決定するという歴史的な出来事がありました。
憲法裁判所で宣告文が読み上げられるようすが生中継で伝えられ、我が家も緊張に包まれていました。
11時半すこし前に罷免が宣告され、しばらくはニュースにくぎづけ。

午後は、授業の空き時間にふらりと根津美術館まで散歩して、「高麗仏画展」を見てきました。

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(根津美術館ホームページ)
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html

大きく揺れている今日の韓国が遠ざかっていくような、ゆったり優美な高麗仏画の展示空間。
衣装の文様や柔らかい曲線がとてもきれいでした。
12~14世紀の高麗の美術品をいま東京で見られることがなんとも不思議です。

美術館に足を運ぶたびに感じることですが、「権力×信仰」の力で生み出された芸術品はやはり格別ですね。
命懸けだったんだろうなと思います。

ミュージアムショップには、特別展に合わせて、高麗に関連する書籍が並んでいました。
気になったのはこの『韓国歴史地図』という本。



ソルレムのライブラリーに加えたいです。
蒙古の侵略を扱った本などもおもしろそうでした。

今日はきっと歴史に残る日になると思うので、日記を書き残してみました。

  1. 2017/03/10(金) 23:03:51|
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絵本のタイトルの翻訳 『내가 함께 있을게』について

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以前、このブログで『내가 함께 있을게(ぼくがいっしょにいるよ)』というドイツ絵本の韓国語翻訳を紹介したことがあるのですが(こちら)、この作品が気になって調べてみたら、英語版のタイトルはこうでした。


Duck, Death and the Tulip
(アヒルと死とチューリップ)

Wolf_Erlbruch,_Duck,_Death_and_the_Tulip


これはドイツ語の原題に忠実な翻訳のようです。

Ente, Tod und Tulpe
(アヒルと死とチューリップ)

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日本語版は、『死神さんとアヒルさん』

チューリップは省略されています。
どうしてチューリップを消したのだろう。
「さん」づけになるところが日本語らしいですが、ドイツ語と英語の雰囲気とはちょっと違ってしまっている気もします。




もう一度韓国語版のタイトルを見ると
「내가 함께 있을게」
原題とは違うところをタイトルに持ってきています。
でもこのタイトルは作品にぴったりあっているように思いました。

絵本のタイトルの翻訳も奥が深い。

この作品は多言語で集めたいです。

ドイツ語のアニメーションがありました。



  1. 2016/10/24(月) 21:41:42|
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「翻訳」への憧れ

子どもの頃、母が英語翻訳の仕事をしていて、家に当時はめずらしかったFAXとワープロと、持ち上げられないほど重たい辞書がいくつかあった。記憶に刻まれた「翻訳」というのは、その分厚い辞書をぺらぺらめくる母の姿と、FAXから延々と流れ出て床に溜まる感熱紙のイメージ。パソコンのない時代だから、原稿は長さのぶんだけFAXから流れ出てきて、くにゃくにゃ丸まって電話台の床に溜まっていた。その謎の英文が書かれた長い紙が小学校1年生くらいのわたしにはしびれるほどかっこいいものだった。その憧れが英語への熱になって、わたしは人一倍英語にかぶれ、文集に将来の夢は翻訳家と書いたりもして、洋楽を一生懸命聞き、大人になってからは韓国語にはまった。語学への熱のはじまりに、翻訳への憧れがあるような気がする。

  1. 2016/05/14(土) 01:06:25|
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「詩人ユン・ドンジュとともに」に参加して



今日、立教大学で行われた詩人ユン・ドンジュの追悼礼拝に参加してきました。
今年でもう9回目になるそうですが、わたしは初めての参加です。

ユン・ドンジュを追悼するお祈り、神父さまのお話につづいて、日本語と韓国語で詩の朗読が行われました。

朗読者は全部で14名。小学生の女の子、韓国から来た高校生、俳優さん、詩人さんなど、さまざまな人が朗読に参加していました。

幅広い世代の人たちが、それぞれの声で、それぞれの読みかたでユン・ドンジュの詩を読んでいる。いいイベントだなあと、しみじみ感じました。「序詩」だけは、会場の人みんなで読みました。

その後、パイプオルガンの伴奏でアリランを歌ったのですが、子どものころ何度も歌ったアリランを久しぶりに口ずさんで、とても懐かしい気持ちになりました。ソウル日本人学校の体育館を思い出します。

詩とアリランの歌と、後半のユン・ドンジュについての講義を聞いて、若くして日本に命を奪われた才能ある詩人を記憶しようとする活動に感動しましたが、同時にこんなふうに記憶される人は一部で、忘れ去られてしまった人のほうが多いのだろうと思いました。今読んでいる本の影響もあって、ちょっとしんみり。

それはそれとして、こうしてチャペルにたくさんの人が集まっているのを見るのはなんともいいものでした。
チェッコリや多読の会で知り合った方たちもちらほら。韓国語を通して自分の世界や人とのつながりが広がっているのを感じます。

今日の記念に、昨年新しく出た新訳の詩集を買いました。上野都さんという方の翻訳です。



すばらしいイベントに参加できていい一日でした。

  1. 2016/02/22(月) 01:23:30|
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絵本のなかの 「かたこと」 「がたごと」 「がたんごとん」

今、修士の研究で、日本の絵本の文章を細かく見ていく作業をしています。
ただ読むのではなくて、どんなことばが使われているのか、ひらがななのかカタカタなのか、何語ぐらいでひとつのお話が構成されているのか、じっくり見ていると、おもしろい発見がいろいろあります。

昨日おもしろいと思ったのが、『三びきのやぎのがらがらどん』という絵本のことば。
この絵本は、1965年に英語から日本語に翻訳された、絵本の中では古典ともいえる作品です。



三匹のやぎが橋を渡って、山に草を食べにいくのですが、それを 「やまへ ふとりに いく」と表現しているところがまずおもしろいところ。

やぎたちは三匹とも「がらがらどん」というなまえで、絵本のなかでは、「いちばん ちいさいやぎの がらがらどん」、「二ばんめやぎの がらがらどん」、「おおきいやぎの がらがらどん」と呼ばれています。

はじめに、いちばん小さいやぎのがらがらどんが橋をわたると、「かた こと かた こと」と橋がなります。
そして、橋の下にいるおそろしいトロルに向かって、「ぼくですよ。いちばん ちびやぎの がらがらどんです。やまへ ふとりに いくところです」と名乗ります。

次に、二ばんめやぎのがらがらどんが橋をわたると、「がた ごと がた ごと」と橋がなります。
名乗り方は、 「ぼくは 二ばんめやぎの がらがらどん。やまへ ふとりに いくところだ」。

最後におおきいやぎのがらがらどんが橋をわたると、「がたん ごとん がたん ごとん」と橋がなります。
セリフは、「おれだ!おおきいやぎの がらがらどんだ!」。


日本語で読むと、絵がなかったとしても、やぎの大きさの違いやキャラクター(強さ)がありありと目に浮かんできます。擬音語が大きさや重さの違いを伝えてくれるだけでなく、「ぼく」と「おれ」、「です」と「だ」の使い分けで、しっかり三匹の差が書き込まれています。

これを他の言語ではどう表現しているのかが気になります。

英語版"Three Billy Goats Gruff" をネットで検索してみると、橋を渡る音は「Trip, trap, trip, trap! 」で三匹とも同じですが、繰り返しが長くなっていきます。
名乗ることばは、こんなふうにかき分けられています。
"Oh, it is only I, the tiniest Billy Goat Gruff."
"Oh, it's the second Billy Goat Gruff."
"It's I! The big Billy Goat Gruff."

こうなると、韓国語版も読んでみたくなります。
探してみたら、韓国語のタイトルは、『우락부락 염소 삼형제』と、『용감무쌍 염소 삼형제』どちらもあるようです。

gara.jpg

一人称と擬音語のところをチェックしてみたくて、うずうず。
でも手元にないので、ひとまず研究の続きに戻ります。
今日も絵本のことばに楽しく取り組みたいと思います。
みなさま 오늘도 좋은 하루 되세요^^

  1. 2015/11/15(日) 10:10:38|
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谷川俊太郎さん



昨日、CHEKCCORIに谷川俊太郎さんと翻訳家の吉川凪さんが来てくださり、「連詩」についての小さなトークセッションが開かれました。

学生時代から谷川俊太郎さんのことがずっと好きだったので(詩も、谷川さんという人も)、チェッコリに谷川さんがいることが嬉しくて、なんとも言えないあたたかい気持ちになりました。

谷川俊太郎さんと吉川凪さんは、お二人ともリラックスした様子で淡々とお話しになるのですが、そうして発することばのなかにゆったりとした知性とユーモアが溢れていて、それはそれは素敵でした。詩をもっと読んでみたいという気持ちになりました。

トークセッションが終わった後、チェッコリで販売していた『二十億光年の孤独』の韓国語版の中古本に「俊」という一文字のサインをもらいました。

この詩集を初めて読んだときは、まさか韓国語で谷川さんの詩を読む日がくるなんて思いもしなかったけれど、のろのろとした韓国語の歩みも、15年の間になんとかここまで来られてよかったです。

むかし広告批評のシンポジウムで谷川さんの絵本の朗読を聞いたこと、浅草の隠居大学に参加していたこと、今日本語学校の学生たちと谷川さんの絵本を読んでいることなど、いっぱいの憧れを谷川さんご本人に伝えられて幸せでした。

  1. 2015/09/12(土) 12:26:02|
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休みの日の読書 『役にたたない日々』 佐野洋子



図書館から借りていた佐野洋子さんのエッセイを、おわりまで読みました。
こんなのんびりした一日は久しぶり。

佐野洋子さんが「冬ソナ」から韓流ドラマにはまるくだりが笑えました。
「執念深いのである。執念深いと云えばヨン様も女も執念深い。死ぬほど執念深いのである。」とかいって。
一年間死ぬほどはまって、DVDを買いまくって、顎がはずれて(いつも同じ姿勢でテレビを見ていたせいで)、ブームがさったらしいです。


佐野洋子さんが好きです。
会ったことはないけれど、エッセイを読んでいると、こういう人っていいなあと思います。
どういう人かというと、なんというか、少しも、ちまちましていない。
勝ち気でことばも性格も激しくて、つまらないことに腹を立ててばかりいるのだけど、なんだかあたたかい人です。
わたしは自分のおばあちゃんがいちばん好きだけど、佐野洋子みたいなおばあさんにも惹かれます。

姉が、わたしの机に置いてあったこの本を少し読んで、「気の強さと口の悪さがすごいね」とコメントしてきたので、『シズコさん』も合わせて読んでみて、と弁明しておきました。

『シズコさん』では、戦後に大変な苦労をして、お兄さんと弟が栄養失調で死んでしまったことや、絵がうまかったお兄さんの絵具で絵を描きはじめてお母さんに睨まれたときのことなどを読んで、電車の中で泣きました。



エッセイを読んでから佐野洋子さんの絵本を読むと、感じ方が変わる気がします。



この絵本、やっぱり韓国語版を買おうかしら。『おじさんの傘』も。


今回この『役にたたない日々』を読んだのは、台湾人のナタリーさんがおすすめしてくれたからです。
今はもうない東中野の日本語学校で教師をしていたとき、受け持っていたクラスの学生だったナタリーさん。

わたしが昔話したことや、紹介した作品などをよく覚えていてくれて、「佐野洋子さんは先生の好きな谷川俊太郎さんの元奥さんです」という情報まで送ってくれました。これだから日本語学校の教師はやめられない。

ナタリーさんは、このエッセイを日本語と中国語両方で読んで、翻訳の勉強をしているそうです。すばらしい。


いい本は癒し。
その中でも、だれかがすすめてくれた本を読んで、それが自分も気に入ったときは格別にうれしいです。

  1. 2015/08/02(日) 23:18:08|
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